自分の子どもに「これからどうなって欲しいか」「そのために何をしてあげられるか」考えたことはありますか?
私は、こんなことばかり考えていた時期がありました。
それは、発達障害グレーゾーンの娘が小学3年生の時でした。娘は特性を持ちながら普通学級で頑張っていたのですが、この頃、落ち着き始めていた特性がドッと増えてしまいました。
3年生になって特性が増えていった経緯は、小学3年生で特性が増えた経緯に書いています。
この記事では、当時の私が考えすぎて行き詰まってしまったこと、そしてそこから抜け出すまでの話を書いていきたいと思います。
17時台の電話は、ほぼ100%学校
娘が小学3年生だったある日、また、担任の先生から電話がありました。17時台の電話は、ほぼ100%学校…。固定電話なんてほとんど鳴らないので、出る前からわかってしまいます。
今回は娘が何かをした、ということではなく伝達事項だったのですが、電話ついでに話が広がり、先生の方からこんなことを相談されました。
「〇〇ちゃん(娘の名前)のペースに合わせて見守っています。いろいろ言うと、学校や勉強が嫌いになってしまうといけないので。授業中などに勉強と関係ないことをしていても、あえてこうするように、という指示はしていないのですが。このような対応を続けてもいいのでしょうか」
と…。私、この電話で考え込んでしまいました。
今思うと、低学年の時の担任の先生は、特別支援教育に強い先生だったのだと思います。そのため、学校という集団生活での対応については、先生が工夫しながら娘が自分のペースで成長ができるよう考えてくださっていたので、私も安心してお任せしてしまっているところがありました。
だから、学校での対応について、先生からこのような話があったのははじめてでした。娘のことを一番わかっているのは私。どこかでそんな風に思っていたのに、この時、先生の質問に何もこたえることができませんでした。
なにかすぐに解決策を見つけないと!
私は娘にどうなってほしいんだろうか?
私は娘に何をしてあげればいいんだろうか?
先生に何を伝えればいいんだろうか?
なにかすぐに解決策を見つけ出さないといけない、そんな気持ちになって、なんだか苦しくなっていました。
もちろん、将来的にどうなってほしいかを考えて、そこに向けて今の困りごとを自分で乗り切る力をひとつひとつ身につけていってほしい。でもそのために今何をしたら良いのかがはっきりと見えませんでした。
将来への不安については将来が不安だった頃の記事にも書いています。
私は、できていないところばかり見ていた
気づけば、私は娘のできていないところにばかり注目するようになっていました。正しい対応がわかっていても、できない時があります(そんな時のことは正しい対応ができなかった時の記事にも書いています)。この時もそうだったと思います。
言葉には出してはいませんでしたが、娘も感じ取っていたでしょう。
思えば、その頃の娘は、テストの点数や通信簿の評価を気にするようになっていました。「通知表を全部花丸(一番良い評価)にしたい」とか「算数のテストが55点だった」とか。自分はできていないと思い込んで落ち込んでいる様子がたびたび見られていました。「自分よりお友達のほうができる」という表現も増えていました。
娘にも「他人と自分を比べてしまう」、そんな時期がやってきた頃でした。
娘自身が「人と比べて自分はできていない」と考えているのに、親まで、できていないところに注目していたら、ますます不安定になってしまいますよね。
当時、私は学校に伝えるためにこのようなメモを書いていました。
「私が以前の娘の状態(とても落ち着いて過ごせていた2年生の3学期)を期待し、気づかないうちに負荷をかけすぎてしまったのかもしれません。家での対応を改め、娘の苦しさを取り除くことからまたはじめたいと思っています」
小学3年生になり、特性がふたたび増えてしまった娘に対し、感じたことでした。
このメモのことは、学校に伝えたいことを整理した記事にも書いています。
娘は娘のままでいい
みんなよりできなくたっていい。
できないのが当たり前で、できることがすごいだけなんだ。
娘は娘のままでいいんだ。
見失っていた大事なこと。「どうなってほしいか」よりも、今の娘を受け止めたいと思いました。
…と思ったのに、またモヤった話
ところが、です。
その数日後、特別支援教室からの手紙に、前期で3人のお子さんが退室することになったことが書かれていました。(娘が通っている特別支援教室は、前期後期の2期制でした)
娘に聞くと、その中の1人は、ずっと一緒だった同級生の男の子。
実は、娘も2年生の終わりにはとても落ち着いて過ごすことができていたので「そろそろ退室してもいいんじゃないか」という話をいただいていました。
その後、小学3年生になってから再び特性が増えてしまったので、退室など考えられるような状態ではなくなってしまったし、退室しなくて良かったのですが…。
でも、なんでしょう。
娘も続いていければいいな。当時の私はそんな風にも思ってしまいました。
娘は娘のままでいい、そう思ったばかりなのに。人と比べるのはよくないと、わかっているのに。
……頭の中はなんだかモヤモヤ。
娘が退室したのは、小学4年生の3月でした。退室できたら良いな、と思っていたのに、いざ退室となるとそれはそれで不安になったのを覚えています(笑)でも、娘は娘のペースで成長し、普通学級だけで高学年を過ごすことができました。
中学生になったタイミングで、娘自身が考えて、また特別支援教室を利用する選択をしました。堂々巡りをしているように見えるかもしれません。でも、これも娘らしさ。娘の判断を信じて、必要な支援を受けながら、これからも見守っていきたいと思っています。
この記事のまとめ
- 先生からの「このような対応を続けてもいいのでしょうか」という電話で、考えすぎてしまった
- 気づけば、娘のできていないところにばかり注目していた。娘はきっと感じ取っていた
- 娘は娘のままでいい。「どうなってほしいか」よりも、今の娘を見てあげたい
- そう思った矢先に、通級の卒級の話でまたモヤった。でも娘は娘のペースで成長し、高学年を普通学級で過ごせた。中学生になった今は、娘自身の判断で必要な支援を受けながら見守っている


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