娘は、小学校に入学してまもなく、発達障害グレーゾーン(ADHD+ASD)だとわかりました。
指摘を受けてから療育や通級につながるまでの流れは発達障害グレーゾーンの娘|指摘から療育・通級につながるまでのまとめに書いています。
特性ゆえに、落ち着きがなかったり、話をきちんと聞けなかったり…と、学校ではできていないことばかりが目立ってしまいがち。今思い返すと、まだ発達に特性があると気づいていなかった保育園の頃から、しっかりしたお友だちに助けてもらう場面が多くある子どもでした。
でも、確かにできないことは多いかもしれないけれど、「娘が優しい子」だと感じる出来事が何度もあったように思います。今日は、その優しさが一番よく表れたできごとを書いておきたいと思います。
4歳の娘の夢は「ママのお母さんになること」
当時年中さんだった娘の夢は「ママのお母さんになること」でした。
ちょっと意味がわからないですよね。
どうしてそんな話になったのかは覚えていないのですが、その頃、娘が「ママは何か欲しいものある?」と聞いてきたことがあって、その時に私が答えたことが「そうだなぁ、ママはお母さんが欲しいかなぁ。」だったからでした。
私の母は、娘が生まれた数ヶ月後に亡くなりました。生まれた時にはすでに病を患っていた母。それでも孫である娘をとても可愛いと言ってくれ、この子がランドセルを背負う姿が見たいと楽しみにしてくれていました。
まだまだ聞きたいこともあったし、聞いてほしいこともあった。成長した今の娘の姿を見たら、とても喜んでくれただろうな、そんな風に思っていました。私は母が大好きでした。
伝わらなかった、娘の言葉
娘が通っていた保育園では、毎月お誕生日会がありました。その月に生まれた子どもたちがひな壇にあがって、ひとりずつインタビューを受けます。
「お名前はなんですか」
「何歳になりましたか」
「大きくなったら何になりたいですか?」
お友だちが「ケーキ屋さん」「仮面ライダー」と答えていくなか、4歳の娘はこう答えました。
「お母さんになりたいです。」
娘は、お誕生日会の前に、先生にはちゃんと「ママのお母さんになりたい!!」と言ってくれたそうです。でも、理解してもらえず、娘もうまく説明ができず、本当の意味を伝えることができませんでした。
そして持ち帰ってきたお誕生日カードの将来の夢の欄には、こう書かれていました。
「ママみたいなお母さん」
まだ4歳。本当に「ママのお母さん」になりたいなんて…先生たちも言い間違いだと思ったんでしょうね。
とくに娘は言葉で表現することに苦手さがあって、思っていることをうまく言葉にできず、伝わらないことは10年経った今でもよくあります。そのことは「ちゃんと聞いてるのに伝わらない」発達凸凹の娘との会話のズレに書いています。
夢が変わっても、娘は忘れていなかった
その後、娘の夢はアイスクリーム屋さんに変わりました。
アイスクリーム屋さん。これもとっても可愛い夢ですが、今でも「ママのお母さんになりたい!」と言ってくれた時を思い出すと、泣きたくなるほどうれしかった気持ちが湧き上がり、そして、優しさに包まれます。
それから数年たった小学3年生の頃にも、ふと娘が「あたしはママのお母さんだからね♡」と言ってくれたことがありました。夢がアイスクリーム屋さんに変わっても、ママのお母さんになることは忘れていなかったこと、嬉しく思ったのを思い出します。
そんな娘は、中学生になりました。
この間、「あのとき、ママのお母さんになりたいって言ってくれたの覚えてる?」と聞いてみたら、
「そんなこともあったねぇ」
と(笑)。あっさりした返事でしたが、保育園の頃のことなんて忘れていてもおかしくないのに、今もちゃんと覚えているのが娘らしいと思いました。
誤解されやすいけれど、優しさは人一倍
娘は発達障害グレーゾーンです。そのため、誤解も受けやすいし、生きづらさも感じやすい。けれど、純粋さ、心の優しさ、素直さは、人一倍持っている、と感じ、感動することがあります。
誤解されやすかった娘が、少しずつ周りにも良さを見てもらえるようになった話は発達障害グレーゾーンの娘の問題行動が目立った1年生|3年生になって友だちにも伝わった良さに書いています。
この子の良さを伸ばしてあげたい。そして、多くの人に凸凹ちゃんの素晴らしさを知ってもらいたい。あらためて、そう思いました。
ADHDやASDの子が、みんな優しいのかはわかりません。でも娘を見ていると、うまく伝えられないだけで、心の中では誰よりも人のことを考えていることがあると感じます。伝わりにくいから誤解されてしまうのですけどね。
- 4歳のお誕生日会で、娘の夢は「ママのお母さんになりたい」だった
- その理由は、私が「ママはお母さんが欲しいかなぁ」と答えたことがあったから。私の母は娘が生まれた数ヶ月後に亡くなっている
- でも保育園では理解してもらえず、お誕生日カードには「ママみたいなお母さん」と書かれていた
- その後、娘の夢はアイスクリーム屋さんに変わった
- それでも小学3年生のある日、ふと「あたしはママのお母さんだからね♡」と言ってくれ、忘れていなかったことがわかった
- 中学生になった今、あの頃のことを聞いてみたら「そんなこともあったねぇ」。あっさりしていたけれど、ちゃんと覚えていた
- ADHD・ASDの特性があると誤解されやすいけれど、娘の純粋さ・優しさ・素直さは人一倍だと感じている


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